プロフィール

はじめまして、ドングリマツリです。


僕たちは、2019年から本業以外でも人の役に立てることはないかと思い「ドングリマツリ」を発足し、都内
近郊の施設でのレクリエーション
活動を始めています。



ドングリマツリって何なんだ?
どんな人がやっているんだ??


と思う方もいると思うので、簡単ではありますが自己紹介をさせて下さい。



ドングリマツリは主に2人の作業療法士で活動をしています。



2人とも現在は、病気の症状が安定して病院から退院した後の時期の方にリハビリテーションをして関わらせていただいています。


現場は、あおは”有料老人ホーム”と”デイケア”で働いています。そして、ぐりは”在宅”で働いています。





詳しい自己紹介は後の所でお話いたしますが、


その前に今までやってきたことを書いていきたいと思います。



少しでも興味を持っていただければと思うので、書いていきます。




・レクリエーション活動や施設で活動をしています



・Webサイト「ドングリマツリ」を開設し、ブログの
更新を行っている



・Twitterでドングリマツリのアカウントで”日々学んだことのつぶやき“を更新している
(認知症に関する情報、自宅や福祉現場で役立つ発信)

 また、”今日はなんの日”を毎日発信している


・YouTubeで主に脳トレ動画を発信している
 (一人でもできる、簡単にできる、認知症予防)



・色んな世界観や価値観などに触れて、自分たちの
視野がとても広がり始めている



・発信をしていく中で、様々な方を知り又助けてもら
ったりと、人との交流のありがたさを再確認している



・自分たちのやりたい事をカタチにしていく作業の中
で自分たちにも「できる!」という成長を感じている



・少しずつ人の役に立てていることを実感している




などなど、後半は自分達の感じたこと思いでしたね(笑)



僕たちはこれからもコツコツと成長しながら、しっかり継続して一歩ずつ進みながら積み上げていきたいと思っています。



僕たちの活動を通して、
認知症当事者のご家族が自分のプライベートの為に使える自由な時間が作れること

医療・福祉関係者の職場のストレスや負担を減らして働きやすくなること

そして本人とそれを取り巻く方々が笑顔でいられる時間が少しでも増えたらいいな

と思っています。




そして、

理想としては「今後ますます高齢化が進む日本では、高齢者の増加と人材不足が加速化していきます。その中で、今の若者たちが今後高齢を迎える時にも安心して明るく楽しい生活を送れること」が目標です。






このブログでは、認知症に関わるご家族スタッフの方で、




・家族が認知症で急に物忘れが増えて、元気がなくなって心配である


・今までできていたことができなくなって、おかしな
事も言い出して理解できない


・本人の言動に翻弄されて、どう対応したらいいのか
分からない


・自分の時間が取れずに介護疲れになっている


・仕事はやりがいはあって楽しいけど、ストレスや
精神的に辛く負担が大きい


・利用者様とどう接したり、コミュニケーションをと
ればいいのか悩む


・高齢者向けのレクリエーション活動がマンネリ化し
やすいけど、どうしたら良いか



という方に向けて、


発信をしていきます。




この「ドングリマツリ」では、
認知症に関わるご家族やスタッフの方向けに、



・認知症を予防する方法


・手軽にできる認知症診断の方法


・自分の時間を取り戻す介護のやり方


・認知症の方に対するコミュニケーションのとり方


・認知症の方に対する介護の仕方


・施設に入れずに自宅で介護する方法


・認知症の方と楽しむレクリエーション活動


・職場でのストレスを減らす方法なども、



これから、どんどん発信していきます。


僕たちは”作業療法士”という専門職として10年以上現場に携わっています。なので、認知症の方を治療する立場としての医療的な側面もいれてお伝えしていきます。



ぜひ、興味のある記事からどんどん読んでいただければと思います。



又、「こんなテーマの記事が読みたい!」というリクエストがありましたらぜひぜひお気軽に”お問い合わせメール”に連絡してください。

よろこんで、答えさせていただきます(^-^)



僕たちのことをもっと知ってもらい、皆さんに親近感をもってほしいそして、今後の僕たちの活動をより理解してもらいたい。


ということで、これから先は僕たちの物語を今から共有させてもらいます。







学生時代~専門学校時代

●あお

お菓子のすっぱいマンにはまり、教室(いつ)の窓から中庭に種を飛ばしては「芽が出ないかな~」なんて、本当にくだらない事しか考えていない毎日だった。

何がやりたいのか、どうしたいのか…という事も分からず悶々としていた。


成績は常に下、授業についていけず、的外れな質問
で失笑も多々ある中で、優しい同級生の方々に支えられ、何とか卒業する。国家試
験をクリアして、作業療法士の免許を取得する。


●ぐり

小学校では、運動と絵を描く事が好きで体育と図工(一部)と給食を楽しみに日々を過ごしていた。
中学・高校はずっと球技系の部活に入っていた。運動は好きだったが、負けず嫌いも向上心ももてずにただストレス発散に続けているだけだった。

学生生活は、集団での交流を好まずに少数を好む性格だったが、 協調性は人並みにあったので周りに流されて過ごしていた。



大学受験で学部を選択する時期になり、自分が何を本当にやりたいのか?

全く思い描けなかった。

本来なら重大な進路の決断のはずがそれについても両親任せで、アドバイスで”作業療法士”という職業を知り、自分自身にあいそうかな…という安易な選択で決めた。この時まで、自分は周りの環境にただ流されながら生活していた。




大学に入学し、入学先が遠かったので親元から離れて生活することになる。
初めての一人暮らしは何もかもわからないことだらけで、最初の半年間はストレスが大きかった。そして、学校では専門的な勉強や実習体験の中で自分で学んで、自分で考えて、自分で動くということを求められて戸惑いを覚えた。


この時に、初めて自分は今まで周囲に助けられ支えられながら生きてきたということを実感する。
また、自分の人生が敷かれていたレールに乗って進んでいただけで人任せにしていたことを実感し愕然とする。


自分の気持ちがこれから作業療法士として働いていきたいのかという事がよく分からなかったが、成績はなんとか単位を落とさずにいられた。
でも、気持ちがふらふらした状態では、実習中にお世話になった現場の指導者の先生や入院している方に対して良い関係を作ることができずに拒否をされたり、
言われたことがうまくできなかったりと迷惑を沢山かけました。
そんな状態でしたが何とか卒業することができた。



そして、国家試験は同級生と協力しあって約半年間試験勉強をし、作業療法士の
免許を取得することができた。




ターニングポイント

●あお

高校卒業後、スポーツ施設で指導員を始め、高齢者と障害者と関りが多くなり、また同時期に父親が脳出血で後遺症が残り、毎日の病院通いで少しずつ医療・福祉に興味を持ち始める。


そんな中、スポーツ指導を担当した方(職業:作業療法士)にその場で『あなた、作業療法士に向いているよ』と声をかけてもらった。その時に、初めて、父が
病院で受けているリハビリを担当してくださっているのがリハビリ専門の職業だと知った。


それをきっかけに、作業療法士を目指して専門学校に入学することを決断した。

入学を目指しての試験勉強では、泣いて、痩せて、周囲の方たちに沢山応援して頂き、なんとか専門学校夜間部の作業療法学科に入学した。




●ぐり

新社会人として、晴れて回復期・維持期のリハビリテーション病院に入職させてもらう。そこでは、主に脳出血などの脳の病気の方が多く、前の病院で病気の治療をした後にリハビリ目的で転院される方が入院する病院でした。


今まで、まともにアルバイト経験もない状態でかつ交友関係も狭かったので社会人の新人としての立ち振る舞いが全然分からなかった。
その為、先輩からは「気が利かないな」「使えないな」と思われながら徐々に関係性が悪化、最終的には特定の先輩からは完全に無視されるようになった。


担当させてもらった患者様とも、自分のコミュニケーション能力が低すぎて関係性がこじれて怒らせてしまう事態も起こってしまっていた。


そんな状態が、1年目からずーーっと続いていて不眠があったり、朝起きたら嫌な夢で起こされたりと精神的にストレスが強すぎて限界だった。
その為、自分は作業療法士が向いていないと感じながら2年間で退職する
ことを決断する。


退職を決断してからは、肩の力が抜けたからなのか最後の半年間は今までが嘘の様に患者様に対して少しずつ良い関係を気づくことができていた。
それは、辞めるというゴールが見えたことで、気持ち的に開き直れたし今を頑張ろうと少し前向きになれたからと思っている。
退職後に、同僚や先輩たちに「徐々に頑張っていたよ!」「また戻ってきなよ!」という励ましの言葉をもらった時は救われた感じだった。




退職後は、自分を見つめなおしてみようということでフリーターとして運送業・接客業や知り合いのお店のお手伝いを掛け持ちをして過ごす。
運送業は、メール便の仕分け作業という単純作業をひたすら行っていた。
接客業では居酒屋でホールのスタッフとして働いた。

知り合いのお店では、お店の掃除や洗濯や買い物などの雑用をしながら、人生相談にのってもらっていた。


ホールスタッフや雑用係として働く中で、人とコミュニケーションをとったり、「ありがとう」と感謝されることに喜びを感じていた。
また、運送業やホールスタッフとして、物を相手にする単純作業や決められた業務をただこなすことに物足りなさも感じていた。


その中で、自分は人と向き合う仕事が好きで、自分で業務を組み立てたりとやりがいを求めたいと思っていることを再確認する。
知り合いのお店の常連のリハビリ職の方に「仕事は続けていければそれだけでいいんだよ」というお言葉を頂き気持ちが楽になる。



そして、ここからやっと作業療法士として仕事にきちんと向き合う事を決意する。



今までの自分の人生は、人と深く付き合うことをさけ、ただ周りに流されながら、嫌なことがあるとすぐに逃げてしまっていました。


しかし、継続は力なりというアドバイスをいただいてからは、諦めやすい自分でしたが前向きに作業療法士としての仕事を続けることができるようになった。







認知症の方との出会い

●ぐり

次の職場では、精神科のある病院で約7年働いた。

そこでは、主に統合失調症の方が多く、また年単位の長期入院をしている方も多かったです。

病院が生活の場所となっている方も多かったので、季節ごとに様々な行事を開いていました。

普段の時間は午前と午後の2回、それぞれ約2時間、個人での作業と集団レクリエーション活動を行っていました。


僕の勤務年数が増えていくにつれて、入院患者さんも年を重ね高齢化したり認知症で入院する方が増えていった。


こうして、徐々に認知症の方と関わる機会が増えていったのでした。




これまで僕は身内の祖父・祖母が両親共に故郷が遠方であった為に遠い存在として認識していた。
その為、最初は認知症の方を含めて高齢者の方が沢山いて「どう接すればいいんだろう?」と戸惑っていた。

そんな中でも、高齢者の方は優しく・温かく・親切に接してくれる方もいて、とても感謝しながら状況に徐々に馴れていった。





認知症の方は他の病気の方とまた様子が違った。


例えば、


・不安が強くて、作業時間中に何度も立ち上がって
 うろうろと徘徊してしまう人

・目の前に何かがあるとなんでも手で取って食べよう
 としてしまう人

・ジッとしてられずに、イライラしてバンバン机など
 を叩いてしまう人

・声を掛けて運動を促しても、頬杖をつきながら不安
 げな表情を浮かべるだけの人

・話はできるけど、内容のつじつまが合わなかった
 りうまく動作ができない人

・自分の部屋が分からず、廊下で歩いていて迷ってし
 まう人


など、色んなご様子の方がいました。



その中で、


・いくら声をかけて活動に誘っても、「やらない」と
 参加を断られどう誘えばいいのか悩んだり、

・会話のキャッチボールがうまくとれなくてなんとな
 くとりあえず「そうですね~」と共感したふりをし
 てその場をやり過ごしたり、

・一緒に作業をしているのに全然集中できずに落ち着
 かない状態が続き、なんども同じやり取りで気持ち
 的に疲弊したりなど


うまくいかない自分がいて一体どうしたらいいんだろ
うかと悩み戸惑うことも多かった。



でも、その中で共通することはみんながストレスを抱えていたということだった。
自分の思いをうまく表現できず、周りで起こっていることが理解できず、不安だったり焦りを感じているということだった。



これまで、

認知症=みんな同じ病気を抱えている状態

と勝手に思っていた。

だから、

誰に対しても同じようなかかわり方をして

結果失敗していた。

でも、

1人1人これまで生きてきた歴史があり、

性格も

やってきた仕事も

興味関心も

何もかもが違っていることにやっと気がつくことができた時に

認知症の〇〇さんでなく、

認知症を抱えながらも一生懸命生活している〇〇さんとして

〇〇さんの部分に焦点を当てた時にヒントを見つけることができた。




スタッフ全員で1人1人の普段の様子を観察し、どうし
たらいいのか?の作戦会議を行いました。

そこで出たアイデアに合わせてコミュニケーションや活動や環境などを整えてみた。


そうすることで、


・落ち着いて作業時間中は活動に参加して過ごすこと
 ができたり、

・”昔取った杵柄”で得意だった手芸で作品を完成でき
 たり、

・うまく結果を出して笑顔が見られたり、

・言葉数が増えてコミュニケーションがとりやすくな
 ったり、

・活動への参加が積極的になったり、

・普段はお話はできないけど、歌が流れると口ずさん
 だり、


人・活動・環境を調整することで良循環を生み出すこ
ともできるということを実感しました。






反面、トライ&エラーでうまくいくこともあるし、
失敗もあった。

同じ人でも、日によって時間によってその時のタイミングで様子が違ったり、

うまくいった対応を他の人に行ってもその人には通用しなかったり…

でも、以前に比べて前に進んでいる手ごたえはあったので

悩む日々はクイズを解いているかのようで楽しくもあった。



しかし、現場ならではの限界を感じることもあった。

それは、

”時間的な制約”と”情報の不足”でした。

基本的に家族に直接会えないので、1人1人のこれまでの歴史など情報が不足していて手探り状態であることも感じました。

この人は今まで何を大事にして、どんな思いで生活をしていたのか、何が得意で何が好きだったのか…

本人がそれを話せない場合が多く、探っていく中でも
限界はあった。


そして基本的には集団で関わることが多かったので、

1人1人にもう少し丁寧に時間をかけて関りたくても
できない難しさも感じていた。








ターニングポイント

僕たち二人の出会いは、約6年ほど前にさかのぼる。

たまたま共通のリハビリ職の友人がいて、直接紹介し
てもらい飲み屋で初対面。

同じ作業療法士ということもあり、仕事に対する共通
する思いや悩みを抱えていた。

最初は、ただの気の合う友人の1人でしかなかった。

でも、


作業療法士として「もっと何か人の役に立ちたい!」
という思いを共通して持っていました。


お互いの強みを共有しあった時に、お互いが相手を補
いながら何かを成し遂げられるような気持ちがあった。

そして、

なにができるのだろう…と考えた時に、”認知症”に対
してもっと向き合いたいという気持ちが強くあった。


その為、去年からあおの勤務先の有料老人ホームにレ
クリエーション活動に行く機会をもらった。

普段食堂の広い空間に約30人あまりの入居者の方が
集まり、一緒にクイズや体操やゲームや歌に参加して
もらった。

少しずつ参加者の方から言葉がでてきたり、ゲームに
積極的に参加していたり、表情が変わって笑顔が見ら
れたり楽しい時間を過ごすことができた。

また、職員さんからも「助かった」「また来てもらい
たい」という感想をもらえた。


その結果、

施設などの現場ではスタッフさんが日々の業務で忙し
くて、もっととりたくてもなかなか認知症の方とかか
わる時間がとれないこと
僕たちの専門性が認知症の方やそれにかかわる方の役
に立てることがもっともっとあるということとその可
能性を感じた。



継続は力なりということで、「ドングリマツリ」とし
て活動を始めることにしました。




ドングリマツリに込める想い

皆が迎える老化について、もっとポジティブに捉え、
1人で悩まず、みんなで考え、ケアする側、される
側、孤独感をなくしたい。

まだ、動き出したばかりで小さな一歩ですが、自分
にとっては大きな一歩、今関りを持てている方々、
これから出会える方々と楽しく過ごしていけたらと
思います。



冒頭にも言いましたが、


理想としては「今後ますます高齢化が進む日本では、
高齢者の増加と人材不足が加速化していきます。その
中で、今の若者たちが今後高齢を迎える時にも安心し
て明るく楽しい生活を送れること」
が目標です。




認知症の当事者のいるご家族が、

本人や家族が病気でも安心して生活できる環境作り


そして、


認知症の方と関わるスタッフさんが、

働きやすい環境作り


を目指して活動を続けていきたいと思っています。


理想としては、全国どこでもまわって認知症の方や
それに関わる方々に直接お会いしてお手伝いができ
ればと思うのですが、

現実的には難しいので、

インターネットという日本だけでなく世界どこで
もつながっている手段を活用して、

認知症の方がいるご家族や関わるスタッフさんに向けて

発信をしていきたいと思っています。


まずは、色んな現場を回らせてもらい、レクリエーシ
ョン活動を通じてリアルな現場の状況や思いを受け止
めて、自分達にできることのアイデアをカタチにして
いきたいと思っています。




これからもよろしくお願いします。